一日七人、今日も明日も。

国内の令和4年度交通事故死者数は2610人であった。交通戦争と呼ばれた昭和45年の交通事故死者数16765人と比較すると激減したと言える。近年、交通事故死者数は過去最低を更新し続けている。これは素晴らしいことだ。交通事故が生み出すプラスは一つもない。交通事故によって尊い命が失われることのない世界を私は心から願っている。
しかし、この数は0にならない。いくら減ったと言っても2610人の健康な人間が突如命を奪われる。一日あたり約7人の人間が交通事故で命を失う。今日も明日も、間違いなくこの悲劇は繰り返される。自分がこの7人にならない保証はどこにもない。今日、交通事故で亡くなった人は、今朝元気に行ってきますと言って家を出たはずだ。自分が事故に遭うなんて夢にも思っていなかったはずだ。
私は一度大きな交通事故に遭ったことがある。その事故の影響は小さくなかった。生活への影響も大きかったし、残念なことに後遺症も残った。でも、一番大きく変わったのは自分の考え方だった。事故当事者になるまでは事故に遭うなんて超運が悪いやつで自分が事故になんて遭うわけ無いと本気で思っていた。馬鹿は痛い目にあわないと理解できないというが私もその馬鹿の一人だったようだ。痛い目にあってやっと気づいた。それまでの自分はぼんやりと生きていたこと、人生の残り時間を考えたことがなかったこと、他人の目を気にしすぎていたこと、人はいつ死んでもおかしくないこと。
自己啓発本には今日が人生最後の日だと思って生きろみたいなことがよく書いてあるが、これは言うは易し行うは難しの頂点だろう。今日が人生最後の日だと思って後悔の無い一日にしろという意味の言葉だが、本気で今日が人生最後の日だと思ったら人間は絶対に仕事に行かないし勉強もしない。ほとんどの人はその本を読んだ翌日の朝だけ鏡に向かってキリッとした顔で自分にそんな本通りの問いかけをし、明後日には完全に忘れている。そもそも人生最後の日なんてイメージわかないっつうの、という人が大多数だ。
私は事故以来、今日交通事故にあう可能性が常にあることを受け入れるようにしている。どんなに運転に気をつけたところで信号待ち中に後ろからドデカトラックに突っ込まれたら絶対に回避できない。そんな事故で亡くなるのはとても悲しいことだけれど、まぁしょうがねぇよなぁと思ってハンドルを握っている。

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