立ち上がれ、人喰い虫

肩書を無くして生きる

インターネット上での婚活恋活は一時のブームとしての役割を終え、生活に根付いたものになった。馴れ初めを聞かれた夫婦が臆することなく「マッチングアプリで出会いました。」と答える風景ももはや日常となった。黎明期において、インターネットでの出会いは冷ややかな目で見られることが常だった。しかし、今やその目線で見ていた側すらもネットでの出会いを利用するようになり、冷かやかな目で見るものの数は減少した。

マッチングアプリ登場以前にも、出会い系サイトという名前でそれは存在した。しかし、出会い系サイトという名前に付与された猥雑で何らかの温床になっているというイメージに人々は後ろめたさを感じていた。どうにかしてこのイメージを払拭し、大手を振ってネット上での出会いを求めたい。そんな感情が人々の中に渦巻いていた。そんな中、2012年にリリースされたPairs(ペアーズ)の登場によってその感情は発散の機会を得た。マッチングアプリというソフトな名称とスマートフォンの爆発的な普及によってマッチングアプリ市場は爆発的な成長を遂げた。

自分の好みの異性の条件を設定し検索を行う。その検索結果の異性に対していいねを送り、お互いにいいねが通じた場合にメッセージ交換を行い実際に会うかどうかなどを話しあう。極めて合理的なシステムはそこに完成していた。年齢、年収、職業、居住地、趣向などのリアルの出会いではすぐに聞き出せない要素はお互いのプロフィール上に表示される。もちろんプロフィール画像にはその人の顔写真が使われる事が多いため、外見でのミスマッチングも防げる。一見するとこれは欠点のない理想的なシステムに見える。しかし、欠点が無いことが欠陥だった。これは、強者のゲームだ。

異性に求める条件要素などはいつの時代も変わらない。男性は金と顔、女性は若さと顔、多様性だなんだといわれているが結局のところここに収束する。もちろん性格や会ってからのフィーリングというものも重要だ。しかし、それは会わないとわからない。会う前の段階、プロフィールカードバトルの場において+αのカードは使えない。単純に顔や金、年齢といった基本能力で第一ラウンドを戦わねばならない。バニラカードしか使えない遊戯王である。攻撃力の高いものが勝つ、人喰い虫はそこでは生きられない。青眼の白龍が闊歩する世界であった。

提言、肩書非公開マッチングアプリ。

先日、肩書を言わない自己紹介という場面がテレビ番組で放映されていた。番組の内容は把握していないが偶然その場面だけが目に入った。肩書、職業、経歴を話すことを制限して自分が今持っているそれ以外の要素で自己紹介をしていた。今の日本で普通に生活をしている人間がこのような状況に置かれることは皆無だ。自己紹介とは社会的地位の誇示と言い換えられるほど、肩書と自己はセットで考えられる。そこに趣向思想の開示が入り込む余地はない。

ではここで肩書を明かさないマッチングアプリというのはどうだろう。私が軽く調べた感じだと該当するサービスは存在しない。需要が無いのか知名度が低いのかは定かではない。ただ、それを望んでいる人間が一人、ここにいることは確かだ。

肩書非公開マッチングアプリ、作るしかないね。

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