黒い歯

数日前から歯が痛み始めた。今夜も歯の痛みと隣人のアコーディ オンの練習音で起きた。痛み止めをアルコールで流し込み壁ドンし て床に就いたが、アコーディオンの音はやんでくれなかった。 歯医者に行けというが、昔からあの場所は嫌いだ。

理由はなんとも幼稚なので特に説明する必要はないだろう。 ただ、いつも痛み止めで何とかしてきたのだから今回も大丈夫だろう。 一カ月過ぎたころ、また歯の痛みで夜中起きた。もう何時から痛 かったかも忘れてしまったが歯が痛む。電気をつけ洗面台に行こう としたが、電気代を払っていないため、止められていることを思い 出した。 歯の痛みが普段の生活に影響を及ぼし始めていることに気 が付いた。自身の現状の哀れさのせいか、懐中電灯を乱暴に探しド スドスと足音を立て洗面台に行った。大きく口を開け下鏡で痛む歯 を見る。悪そうな歯は明確で下顎の奥歯にあるあのグランドピアノ のように黒く、形状も原形をとどめていない歯であろう。よく見る と、ほかにも似たような症状になっている歯があるが今は痛くな い。ただ、歯医者に行く金もない。「んん」とため息をつき、首を 下に向け少し考える。結果、痛み止めを日本酒で流し込み寝ること にした。 今夜、二回目の目覚めだ。先ほどの痛み止めが効いていないの か、または処方方法が悪かったのか先ほどよりさらに痛む。再度ド スドスと洗面所に向かい、鏡で痛む歯を見てみると何故か歯が動い て見える。いや恐らく歯の根元が腐っているから基盤が不安定なの だろうと結論付ける。確かに黒い歯を手で押すと少しぐらつくと同 時に、今までで一番の痛みが襲う。 それもその痛みはかなり大きく、複数の波で襲ってきた。 これでは眠れない。明日は仕事があり、こんな小さい黒い歯に就寝を邪魔されては腹ただしい。 その結果、一つの狂気的とも言える案が導き出された。 痛む頬を抑えながら、この辺にあるだろうと過去の記憶からクロ ーゼットの収納ケースにライトを照らし探す。「あっはぁ( あっ た) 」とあまりうれしくないもの洗面所にもっていく。ライトの光 に照らされているのはペンチだ。ペンチを握りもう片方の手で口を 広げようとするとライトで照らせない。ライトを紐でつるし安定と も言えないが、先ほどよりはいいだろうと落ち着く。 ベンチでこの忌々しい黒い歯をつかむ。やはり少しギリギリと動 く。この時点がかなり痛む。さてどう抜くか。縦から引き抜くか、 つかみ傾けて抜くか、いずれにしても痛みが伴うことは明確だ。試 しに、つかんだまま少し横に傾けてみた。 「うぐぅっ」と声が漏れた。 これはすこしずつやると痛みが増していくと思い、いっそのこ と、一気に引っこ抜いたほうがいいだろうと思った。だったら、こ のままペンチで歯をつかみ、その手を壁に突進させる勢いで引っこ 抜いてやろうと思った。想像しただけで痛みが伝わり、何故かにや りと笑ってしまった。口から垂れる血のせいか映画にでもでてくる 狂人に思えた。少し深呼吸し覚悟を決めペンチで歯をつかむ。つか んでいる手を壁にぶつける。 「あがぁっ」と血を吹き出す。痛....。 なんて馬鹿なことをしているだと痛みと自身の哀れさに呆れ涙が出る。 さらに、絶望した。この感触、まだ抜けていない。 するといつもの隣人のアコーディオンが鳴り始めた。歯の抜けないこ とと、アコーディオンのむかつく音にイライラし、先ほどと同じよ うに怒りを込めてさらに強く打ち付ける。 「っぐあぁ」抜けない。 「っあぐに」抜けない。 吊るしてあったライトが落ちる。 抜けない。 抜けない。 抜けない。 もう駄目だと最後に強烈な一撃をいれ る。 そしてたしかな手ごたえを感じた。 やった。やってやったぞ。気が付くとあのアコーディオンの音も 壁ドンだと思われたのかやんでいた。落ちたライトを拾い上げ床を 照らすと私の経験上まだ見たことのない黒色の血液がぼたぼたと垂 れている。直ぐに口いっぱいにトイレットペーパーを詰め込み、あ の忌々しい腐った歯を一目拝めようと血だらけの歯を洗った。洗っ ていると手にぶすっと何かが刺さった。ライトで歯を照らすと自身 の目を疑った。 歯の裏には複数の脚がある。 例えるならカブトムシ の脚だ。またその数は異常で蟲がもつ本数ではなかった。脚は十、 いや十五本以上はある。また歯だと思っていた部分は、宿り化のよ うにこれは歯に寄生する何かだと思えた。驚きにひたっていると、 脚がシャカシャカと動き始めた。驚きの連続のあまり、床に垂れて いた血で足を滑らし、それを落としてしまった。ころころと暗闇に 転がっていった。するとシャカッ、シャカッと音を鳴らし先ほど見 た生物の倫理に反するような足で私のほうへ歩いてきた。口いっぱ いのトイレットペーパーで叫びも音にならず響かない。手にもって いたペンチをそれに投げると、少しかすったのかひっくり返った。 するとすぐにくるりと元の体制にもどり今度は進路を変えて壁の隙 間へ入っていった。 薬のせいかまたは痛みで幻覚をみていたのか、何故かふふっと声 が出る。しばらく呆然としていたが口内にひろがる血の生臭さでは っとした。口いっぱいに詰め込んだトイレットペーパーを取り出 し、水で口をゆすいで鏡で口内を確かめる。先ほどあった黒い物質 の場所はなにもなく、すっぽり穴が開いている。するとズキッと知 っている痛みが襲う。すぐに首を上にあげ上顎をみる。そこには原 形をとどめていない黒い歯が複数あり、それはなんだか少し動いて いるように見えた。 シャカシャカ.........

おすすめの記事